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4 August 2024 [photo]

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三崎港の本と屯(たむろ)という私設図書館のようなブックカフェのような場所。
なかなか選ばれた蔵書群ではあるが、今の自分の興味の方向にあった本は少しだけ。

以前は冗談のような空想と思っていたイザヤが日本に来ていたという話や、日本の古代のついての本に興味を持っているところ。
戦後、日本は科学という宗教にやられていたけれども、量子力学などが進むにつれて今まで非科学的とされていた事象も説明がつくのがわかってきたところ。

あと、戦時中 日本軍の兵隊がアジア系の国の現地の人に教えた木または竹の加工の技術など。
水がこぼれない器なども作れる。
プラスチックが必要でないこういう事、日本は忘れてしまっている。

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コメント 4

JUNKO

こんな所があったのですか。気がつきませんでした。興味深いところです。
by JUNKO (2024-08-04 21:07) 

tommy88

忘れたというより
盲信が猛進を呼び妄信させている付和雷同ニッポン
おそらく本質を見極める優秀な人材が多く戦死したことによる弊害
そういうのはあると思うのです

by tommy88 (2024-08-06 14:27) 

mirro

最近あの79年前の戦争は何だったんだろうと想う様になりました。
戦争を知らない年代と言われ、知らないのですが、、

特攻隊戦没者だけでも6418人の若い優秀な男性が亡くなっている
と言われています。
まだそれ以上に多くの人材を失っています。
tommy88さんがおっしゃる様に、次代を担う多くの若者を失って
なんの弊害もないということは無いと思われます。

by mirro (2024-08-09 05:43) 

kome

mirroさん、1929年(昭和4年)の世界恐慌あたりからまずい感じになったかなあとぼんやりと考えます。
日本は後発の資本主義国なので。
さかのぼれば、明治維新くらいから仕組まれた感じはします。
長崎のグラバー邸のグラバーは武器商人だったりして。
あと山本五十六の暴走がまずかったですね。(真珠湾攻撃)
それまで、アメリカ国内は戦争を参加したくなかった国民感情らしかったようです。
ルーズベルト大統領は事前に知っていたらしいのですが、わざと無防備に攻撃を受けて、それから戦争熱があがったみたいです。
財閥のロックフェラーとの関係もあるかもしれません。
原爆は20発落とす予定だったのですが、2発目で日本が降伏したので、止まりました。
20発でめちゃくちゃになっても日本ならいいだろうという程度の差別があったころの時代かなと考えます。
とにかく民間人の被害は大変なものでしたね。
by kome (2024-08-11 20:22) 

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